政治哲学史講義 「序言」
政治哲学史講義 「序言」
ジョン・ロールズ
序言
1
政治・社会哲学を長年教えるなかでしだいに発展してきた本書の講義を準備する際、私は6人の著作家、ホッブズ、ロック、ルソー、ヒューム、ミル、そしてマルクスが、政治哲学についての私自身の著作で論じられている一定の主題をどのように扱っているかを考察してきた。初めは授業の半分を、『正義論』と関連する主題に当てていた。後に、『公正としての正義 再説』のテクストを書き進めるようになり、それにともなって、この講義も『正義論』の代わりに近年の私の仕事を扱うようになった。受講者には、その原稿のコピーを入手できるようにした。
2
いまでは『公正としての正義 再説』が公刊されたので、それに関わる講義は本書には収めていない。6人の著作やそれについて論じた諸観念と私自身の仕事との結びつきについて、明確な仕方で指摘した箇所は少ない。しかし、公正としての正義に言及したところでは、重要な観念や概念をその注で定義したり説明している。序論の講義は、政治哲学についての一般的な見解やリベラリズムの主要な概念についての私の考えを含んでおり、6人の著作家を論じるための土台として役に立つかもしれない。
3
私は、民主的な立憲主義の伝統からリベラリズムを眺めたときの正義の政治的構想を表現するものとして、リベラリズムのより中心的な特徴を特定するよう努めている。
この伝統の一つの構成要素である社会契約論は、ホッブズ、ロック、ルソーによって代表されている。
別の構成要素である功利主義は、ヒュームとミルによって代表されている。
これに対して、社会主義ないし社会民主主義の構成要素は、マルクスによって代表されている。マルクスについてはおおむね、リベラリズムに対する批判者とみなすことになるだろう。
4
本書の講義は、歴史的な観点から見ても、体系的な観点から見ても、それが当てている焦点の幅は狭い。それは、政治・社会哲学の諸問題へのバランスのとれた導入を提起しているわけではない。議論の対象となる哲学者について、私と異なった解釈を評価する試みはしていない。私が示した解釈は、わたしたちの研究するテクストに照らして理に適った正確さをもち、解釈を示すという限定的な目的にとって有益であると思われるものにとどまっている。さらに言えば政治・社会哲学の多くの重要な問題はまったく論じられていない。この講義が、わたしたちの考察する問題にアプローチする教育的な取組みを促し、他の仕方で得られるよりももっと深い理解に達することをわたしたちに可能とするなら、狭い焦点の当て方も許してもらえるだろう。それが私の希望である。
〈了〉